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【探究・知識を深める】紫式部――作品から素敵に浮かび上がる人物とその生涯

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世界最古の長編恋愛小説『源氏物語』の成立から1010年あまり――、光源氏を中心に展開するきらびやかな平安貴族の作品世界ではなく、作者「紫式部」の生涯に光をあてたNHK大河ドラマ『光る君へ』が話題となっています。

「紫式部」の名は女房(女官)としての通称とされ、彼女については、本名も正確な生没年も不明です。ただ、父・藤原為時と母(本名不明)はともに和漢の文学に通じた教養豊かな系譜に連なる人で、彼女には物語作者としての資質が備わっており、また幼い頃から漢籍や和書に接する環境が整っていたといえましょう。

テレビドラマでは、藤原道長との恋愛関係や「魂の伴侶」としての結びつきを軸にストーリーが展開されているようですが、道長が最高権力者に上りつめていく過程で、互いへの純粋な気持ちがこのままストレートに育まれていくのでしょうか……。なお、二人の恋愛関係の有無については、『紫式部日記』における関連記述をめぐって、研究者の間で見解が分かれているようです。

『ブリタニカ・オンラインジャパン』「紫式部」より

紫式部は26歳頃に親子ほど年の違う藤原宣孝に嫁いだとされています。26歳といえば当時としてはかなり遅い年齢(初婚か再婚かは不明)で、結婚に踏み切った理由やきっかけはよくわかっていません。しかし、その結婚生活も宣孝の死により3年足らずで終わります。愛しい人を失った喪失感か、不運に見舞われ寄る辺ない心境を抱え込んだのか、紫式部の悲しみはなかなか癒えなかったようで、ごくあたりまえに絶望感を詠んだ歌も後世に残されています。

そんな彼女ですが、自分自身だけでなく周囲の人々の憂いや不幸を見つめ、それらの由縁なるものは何であろうかと考えるうちに、幼少期から培われた文学の素養が頭をもたげ、書く力(=生きる力)へと転換されていったのでしょう。夫の死はまさに、当時世界でも例をみない長編大作への出発点ともいえ、国文学者の故阿部秋生氏は、ブリタニカ・オンライン・ジャパンの大項目事典「紫式部」で「宣孝がもっと生きていたら(中略)『源氏物語』はこの世に出現しなかったかもしれない」と述べています。

このほか、ブリタニカ・オンライン・ジャパンでは2009年に、故瀬戸内寂聴氏に「『源氏物語』千年の生命」と題する記事を寄せていただきました。寂聴氏は、時空を超えた現代人の罪深き悩みを描いた物語として、この作品の魅力を綴っています。「書くことは命」であり楽しいことでもあると語り続け、99年の人生をまっとうした寂聴氏の作家精神は、推定42歳で没したといわれる物語作者、紫式部の後半生の姿勢とも重なってみえます。

『ブリタニカ・オンラインジャパン』瀬戸内寂聴「『源氏物語』千年の生命」より

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