【探究・知識を深める】鎌倉幕府の執権、北条氏の最重要人物は誰?

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今年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」。鎌倉幕府を開いた源頼朝の死後、2代将軍となった若き頼家を支えるため、当時の有力御家人らによる13人の合議制が敷かれました。その13人のなかの一人が、小栗旬さん演じる主人公の北条義時です。

北条義時? 「執権 北条氏」というフレーズは記憶にあるけれど、北条義時って何をした人だっけ? 学校で習ったんだっけ?と思われた方も多いと思います。それもそのはず、小学校では6年生になると日本の歴史について学びますが、社会の教科書に出てくる「北条氏」は、頼朝の妻政子を除けば、義時の玄孫(ひ孫の子供)、北条時宗ただ一人です。

とはいえ、現役の学生か歴史の先生でもなければ、時宗の名前を聞いてもやはりピンと来ないかもしれません。北条時宗は、モンゴルによる日本襲来、あの元寇のときの鎌倉幕府執権です。

ブリタニカ・スクールエディション』「北条時宗」から、さらに深く知ることができます。(資料ダウンロード

このころ、アジア一帯を支配していた元は、日本にも使者を送って、元に従属するように迫ってきました。時宗がこれを拒否した結果、1274年(文永の役)と1281年(弘安の役)の2度にわたり、元が九州地方の北部に攻め込んできます。九州地方の警備を固め、石垣を築いて備えていた時宗は、見事、2度とも元軍を撃退しました。しかし、戦いに勝利したとはいえ、日本は元軍を追い返しただけで、新たな土地を手に入れたわけではなかったので、幕府は命がけで戦った御家人に褒美(土地)を与えることができませんでした。元寇をきっかけに、「御恩と奉公」という強い絆で結ばれた主従関係が揺らぎ、鎌倉幕府の崩壊にまでつながっていくことになります。

モンゴルからの再度の襲来に備え、福岡県の博多湾沿岸に築かれた防塁

歴史の転換期を生きた北条時宗は、幼いころから将来の執権になるべく、エリート教育を受けて育てられました。わずか7歳で元服し、9歳で幕府の仕事を始め、18歳で執権になっています。そして、弘安の役のわずか3年後、1284年に34歳の若さで亡くなりました。幼いころから国を背負って学問に励み、国家存亡の機に矢面に立って、国のかじ取りをしていたのですから、時宗の心身には、きっと想像を絶するストレスがかかっていたのでしょうね。

小中学校の授業を支援するデジタル教材「ブリタニカ・スクールエディション」では、ここで取り上げた北条時宗のほか、小学校の学習指導要領で重点的に学習するよう明示されている歴史上の人物42人について、特に詳しく説明しています。人物の働きを通して、当時の時代背景がわかるように丁寧に解説しているのが特長です。また、人物にまつわる興味深いエピソードもたくさん載せています。

北条氏の最重要人物、北条時宗の歴史的な役割を頭の片隅に置きながら、今年の大河ドラマを観るのも面白いかもしれません。時宗のひいひいおじいさん、北条義時とはいったいどのような人だったのでしょうね。このあとの活躍が楽しみです。


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