【探究・知識を深める】試練の波が打ち寄せる「友好」の海――黒海

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2022年2月24日の衝撃的なロシアウクライナ侵攻以来、輸出できずにウクライナ国内に留め置かれていた大量の穀物が、同年8月1日にようやく輸出再開の運びとなりました。国際連合トルコ政府の仲介により、ロシアとウクライナが7月22日にそれぞれ合意文書に署名したことを受けてのものです。約2万6000トンのトウモロコシを積載した貨物船は8月1日朝、目的地レバノンに向かって、ウクライナ南西部の黒海沿岸の都市オデーサ(オデッサ)を出港しました。

合意翌日の7月23日にロシア軍がオデーサの港を攻撃するという挑発的な行動に出るなど、先行き不安な側面は残されていますが、輸出再開によって世界的な穀物不足や価格高騰、中東やアフリカ地域での飢餓状況に一定程度の歯止めがかかることが期待されました。それほど世界の穀物市場におけるウクライナの位置づけや黒海の役割は重要ということでしょう。

古代ギリシアの植民市

黒海をルートとするウクライナ産農作物の輸出の歴史は、紀元前8~前7世紀頃までさかのぼることができます。当時、人口増加が著しかった古代ギリシアの都市に食糧を供給するため、現在のウクライナにあたる黒海の北岸地域には、パンチカパイオン(現在のケルチ)、テュラス(現在のビルホロド=ドニストロウシキー)、オルビア(現在のミコライウ付近)といった植民市(アポイキア)が多数築かれました。植民市で活動するギリシア商人は、黒海北岸の民族スキタイが栽培する穀物と自国の品々を交換し、入手した穀物を船でギリシアに運んで利益を得ていたのです。

その証拠として、黒海にそそぐドネプル川(ウクライナ語名:ドニプロ川)と南ブーグ川の中・上流部のスキタイの古墳からは、アンフォラなどギリシア製の壺が出土しており、当時の活発な交易の様子をうかがい知ることができます。なお、二つの河川の河口付近には小アジア(現在のトルコ)南西岸の古代ギリシア都市ミレトスが建設した植民市オルビアがありました。

「友好」の海

黒海における交易は、国家や民族の興亡がめまぐるしかった時代も、大国オスマン帝国が支配した時代も多かれ少なかれ維持され、いまもなおこの海は、ドナウ川、ドネプル川、ドネストル川(ウクライナ語名:ドニステル川)での河川交通が盛んな東ヨーロッパ諸国と、世界市場とをつなげる重要な水路であり続けています。

黒海の名は、暴風の吹きすさぶ広大な水面を不気味に感じたトルコ人が「カラデニズ Karadeniz」(黒い海)と呼んだことに由来するといわれています。ギリシア神話においても、この海は「ポントス・アクセイノス Pontos Axeinos」(人を寄せつけない海)と呼ばれていました。しかし、足を踏み入れる機会が増え、実は住みやすくかつ親しみやすい場所であることがわかると、古代ギリシア人は「ポントス・エウクセイノス Pontos Euxeinos」(友好の海)と呼ぶようになりました。

ロシアの進出・侵攻

18~19世紀には露土戦争クリミア戦争が勃発し、20世紀の二つの大戦とも無縁ではなかった黒海地域は、21世紀に入り、ロシアによる強引なクリミア半島実効支配(2014年)、そしてこのたびの二国間戦争という事態に直面し、多くの人命が失われ、破壊行為が繰り返される血なまぐさい場所の一つとなりました。

歴史上この海が果たしてきた大きな役割を思うとき、そしてあまりにもグローバルに結びついた世界経済への影響を思うとき、戦争をしている場合ではないことはわかりきっていますが、いったん始まって加速までついてしまったものを、どのようにしたらくい止めることができるのでしょうか? 曲がりなりにもこの地域が歴史の中で得てきた平和と戦争の教訓に注目し、世界は、今後起こりうる展開から目をそむけてはいけないと思います。


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