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ブリタニカ国際大百科事典

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Britannica face to face Vol.1

憲法学の専門家として、また、ニュース番組のコメンテーターなどとしても活躍し、いま若手の法学者として最も注目を集めている首都大学東京の木村草太教授。多忙をきわめるなか、木村教授の研究室を訪れ、お話をお聞きしました。そのインタビューを今回から前編・後編の2回に分けてお届けします。インタビューの前編では木村教授の学生時代の思い出や法学、なかでも憲法学を志すにいたった道のりなどについて楽しくお話しいただきました。  (聞き手:編集部)


── 木村教授は中学生の頃に「憲法」に関心をもったということですが、ほかに興味対象が移るようなことはありませんでしたか。


憲法のことだけ考えて大人になったわけではないので(笑)。それなりにいろんな興味はもっていましたよ。でも職業に結びつく学問として法律を学ぼうと決意しましたね。最初は法曹界で、裁判官のような実務家を目指そうかと思ったりしたわけですけど、職業としては裁判官より学者のほうがおもしろそうだと考えるようになりました。


たとえば裁判官ですと仕事の対象を自分で選べません。訴訟や調停などの事案を法学的に正しく処理するという作業ですから。でも法学者の場合は、自分の興味ある分野について論文を書いて、そこで勝負できる。戦う場所を自分で選んで、過去にある誤った理論を正していくということが可能な仕事なんです。自分の興味を見つけてそれを掘り下げる。それが重要だと思います。


── 早い時期に法学に興味をもたれて、その後も読書にはたくさん時間を費やされたと思います。専門書以外で影響を受けた書物は、どのようなものがあるでしょうか。


まず、筒井康隆ですかね。全般的に好きですけど、特に彼のドタバタの短編ですね。あそこがまず出発点になっている気がします。ほんとうにいろんなものをいろんな手法でお書きになっているかたなので。


── 教養というとかしこまった言い方になってしまうのですが、読書や調べものをして知識を身につけるといったように、若い人たちに勧める教養の身につけ方はありますか。


教養というのは、むりやり身につけることはできません。大切なのは、まず“気分”です。たとえば、筒井康隆のこの本を読みたいという気分になったときに本を開かないと、その価値を発揮しないと思うんです。それは専門的な書籍でも同じです。テストがあるからこれを読む、勉強する、というのもとても大事です。ただ、教養というのは、ふと気になったときに本を読んだりして知識を得るようにしていかないと、なかなか身につかないんじゃないかと思います。


たとえば目の前に最高級のウナギがあっても、ウナギを食べたいときとそうでないときってあるでしょう。教養も、たとえば数学について考えたいと思ったそのときに、数学に関する本を読まないとだめなのです。私も最初に筒井康隆の『虚構船団』を読んだとき、あまり気分が乗らなくてよくわからなかったのですが、その後読み返してみたら、がぜん内容が読み取れておもしろかったという経験があります。


── 木村教授は、学生時代をどのように過ごされていましたか。


高校時代は部活には入ってなくて、生徒会の役員でした。生徒会の仕事がないときはいつも図書館に行っていましたね。町でいちばん大きな図書館で、宿題と学校の勉強をやって、それ以外は好きな本を読むという日常でした。専門性の高い蔵書もそろった図書館でしたから、いろいろ読みました。数学はあまり得意ではなかったですけど、理科系科目は得意でした。化学も生物も大好きで成績も抜群でしたよ(笑)。建築にも興味がありました。いいですよね。あの空間の驚きというか、好きですね。


── そういえば、憲法学者と社会学者と建築家による『いま、〈日本〉を考えるということ』(河出書房新社)はたいへんおもしろかったです。建築家の山本理顕さんの視点は斬新ですし、社会学者の大澤真幸さんは難解なことをかみ砕いて説明してくれてたいへんわかりやすくって。


あれは、この10年ぐらい構想を練っていた本ですから(笑)。


── 高校時代を経て進学し、法学を志すことになったきっかけはなんですか?


まず就職までを見すえたときに、裁判官や弁護士になるにしても一般企業に勤めるにしても、法学はよいのではないかと考え、法学部を目指しました。でも司法試験の勉強をするうちに、いやになっちゃったんですね。学者の方が向いているだろうと感じ始めました。


当時の東大法学部は学者になるためのコースが充実していました。法学部を卒業してすぐ給料のもらえる助手になる、学士助手という制度があったんです。3年の任期で助手論文を提出すると、いきなり大学教員として就職できるというコースがあったんですよ。だから私は修士号も博士号ももっていないんです。


普通だったら、法学部を卒業して法学士になった後、大学院に行って修士・博士となれば最低5年かかります。東大法学部で優秀な人は大学院に進んで研究職を目指すのではなく、収入などの待遇面もずっとよい、弁護士や検事、裁判官のような実務家を目指す人が多くなってしまいます。現在は司法試験制度が変わったので、状況は異なりますが、当時は学部3年生のうちに司法試験に受かってしまう人もいたので、学士助手はそういう優秀な人間を研究の道につなぎとめるという趣旨もあったんですね。


── 大学生時代の思い出深い経験についてうかがいます。


法学の研究室に残ろうと思って最初にやったのは、ドイツ語のゼミをとることでした。東大法学部のゼミは半期ごとですから、3年生からだと卒業までに4つのゼミがとれるんです。人が集まるのは商法とか民法とか、実務に役立ちそうなゼミなのですが、私はあまり興味が持てず、研究者志望でもあったので、ドイツ語を訓練しようと決意しました。入ったのはドイツ語の民法の教科書を読むゼミで、東大法学部でも人気は低かったです(笑)。英語だけで授業を行なうゼミなどは、英語が堪能な人も多いので人気でしたが、私が入ったゼミでは、学部生は私一人、助手と院生が一人ずつの合計3人だけです。でも、大学の授業の中でも、それがいちばん楽しかったかなぁ、という感じですね。


ただ、実のところ、その内容はよく覚えていないんです(笑)。ドイツ語を読むということ自体を楽しんでいた気がします。一般教養でとったドイツ語の授業はおもしろく感じなかったんで、外国語を読むということはこういうことだと、ゼミに入ってはじめて気づいた気がします。結局、自分の興味のあるものを読まないかぎり、外国語だろうと日本語だろうとつまらないわけです。興味さえあれば、どんなにたいへんでも外国語学習って楽しいものですよ。なにが書いてあるんだろうって、読み進めることが喜びになりますから。


私は大学生になった時点でもう法学を専門に学ぶと決めていたので、教養学部の授業にはあまり興味をもてなかったです。でもいくつか印象的な話は聴くことができました。海洋系の先生のウナギの卵の話とか、とても印象に残ってますね。結局どんな分野でも、自分の研究対象が好きかどうかで、教える側の熱量の差が大きかった気がします。それは教わる側にも伝わってしまうんですね。でも法律の専門家とはいえ、好きな研究だけしてるわけにはいかないんです。新しい法律や判例が出たら、好き嫌いを問わず、それを学び、解説しなくてはならないわけですし。


── 教授は日々学生に向き合っていらっしゃいますが、ご自身の学生時代との違いはお感じになりますか。


まずは、ずいぶん忙しそうだなぁ、ということでしょうか。アルバイトだったり就職活動だったり、それ以外にも処理しなければならない情報が多すぎてたいへんそうに見えますね。情報が簡単にインターネットでアクセスできると、どうしてもそうなりますね。自分に必要のない情報でも、知っておかなければならない気がして。これはなかなか難しい問題です。


私は自分が読む側でもあり、書く側でもあるのでよくわかるんですが、インターネットで目立つ原稿には、ある特徴があるんですね。正確さを犠牲にして、かつコストをかけない原稿を平然と書ける人が目立ちやすいメディア、それがインターネットなんです。


最近の話題を例にとってみましょう。民進党の蓮舫代表が二重国籍問題で批判を浴びましたが、国籍のことをよく理解していないし調べてもいないのに、蓮舫さんの国籍問題についてさも知識があるように語ってしまう人が多い。あるいは国会で安保法制が議論になれば、調べもしないで生半可な知識で集団的自衛権や憲法第9条について語ってみるとか。それぞれ専門家はいるわけですが、きちんと取材したり原稿の執筆を依頼したりするとなると、情報を発信する側も大きなコストがかかります。それが嫌なので、評論家的にさっと話せたり、文章が書けたりする人のところに依頼が集中するようになる。語り口はおもしろいので、多少内容が不正確であってもネット上ではもてはやされるし、話題になりやすい。そんな原稿が多いですよ。


結果として、そんな情報ばかりにアクセスして話をする学生というのも当然増えてくる。だからレポートを提出させる際にも、そういうやり方では書けないような課題を出すようにしています。情報を取得する際に、学生はインターネットから入るのはやめた方がいい。まず批判能力と、情報の正確さを評価する能力を身につけたうえで、インターネットを道具として使わないと、たいへん危険だと思います。


── 一歩一歩を確認しながら論を進める地道な研究者の文章には目を向けず、テレビをにぎわすコメンテーターの発言に気をとられているようなものでしょうか。


私もコメンテーターやってたことあるんですけどね。


── そうでした(汗)。もちろん拝見していました!


Britannica face to face Vol.1

憲法学の専門家として、また、ニュース番組のコメンテーターなどとしても活躍し、いま若手の法学者として最も注目を集めている首都大学東京の木村草太教授。インタビューの後編では、情報の正確さの評価、「教養」の原点、そして百科事典の価値について語っていただきました。         (聞き手:編集部)


── 情報も量的な点以上に、その質を見きわめることが大切ですね。


最近の学生の傾向として、価値のない自己啓発本のようなものを読む人が増えていると感じています。最近なにを読んだかを学生に尋ねてみると、その手の本がよくあげられて、大丈夫だろうかと少し心配になることがあります。最近よく聞く人文系機関への批判や存在意義の問い直しも、人文教養の体系性のなさが、この時代に弱点となって表れてきたのでしょう。


ある状況を理解するのは、表層的で簡単な側面とは別に、高度に専門的な知識を持っていないと理解できない側面があり、専門技術的なものの価値はむしろ上がっている気がします。インターネット上で無料の検索サイトを使って調べるのは簡単ですが、検索エンジンでアクセスしにくい情報というのは、体系的な知識に裏づけられた技術と呼ばれる分野のものになってくるのです。いわゆる理系の知識というものはそういうものですし、経済学とか法学もかなり体系だった学問です。そういった経済学や法学的視点に基づく知見というのは、ちょっと調べただけで理解できるものではないんです。


ただ、人文学は学問としての体系化が十分にできていないので、専門家の中にも、個々の情報の羅列に終わってしまうケースが少なくない。もちろん、優れた研究者はたくさんいるし、学問としての価値は高いはずなのですが、そこまでたどり着けないままに、はたして「学問」としての価値がほんとうにあるのかという視線にさらされている、という感じがしています。


── いま生起している事象を表面的に解説しているのだけれど、単発的なアイデアを出しているにすぎず、「○○学」という体系になっていないということでしょうか。


普通の評論家と専門家はなにが違うかというと、たとえば医師なら医師、法律家は法律家、こういう背景があって私は語っていますと言えますよね。でもたとえば、哲学者が集団的自衛権*1について語ろうとしたときに、どういうバックグラウンドで、どのような専門的な知見のもとで語るのか説明しにくい気がします。


法律の議論は、条文の文言をどう定義するかで8割方決まってしまうものなのです。それを、日常用語の感覚で語られても、議論が混乱するだけです。もちろん、法律用語が日常用語とかけ離れてしまうのは問題ですが、明確で公平な法適用のためには、ある程度、専門的で特殊な用語体系にすることが不可欠です。


本来は、教養や人文教養と呼ばれるものに求められているのは、時世の問題に答えを出すことではなく、より普遍的であったり、多角的であったりするようなものの見方を与えることではないでしょうか。専門知が必要なテーマについて他分野の専門家が安易に語ると、本来の専門性が失われ、床屋談議になってしまいます。


たとえばオンラインの無料情報サイトなども使い方によっては便利ですが、一次情報源としては危険な場合があります。自分がほんとうに詳しく知っている項目を読んでみてください。すると書き手がどこまで理解していて、どこから理解できていないかわかるでしょう。私もそういったサイトに記載されている「憲法9条」の項目を読むと、この程度の理解度で書いているのだということがわかるわけです。もちろん人物の生年月日などのファクト、つまり事実確認には役立つと思います。でもある事象について評価したり、体系的な専門家の知見が必要なものごとを調べたりするために使うのは危険な気がします。

*1集団的自衛権

しゅうだんてきじえいけん
right of collective self-defense

国際関係において武力攻撃が発生した場合,被攻撃国と密接な関係にある他国がその攻撃を自国の安全を危うくするものと認め,必要かつ相当の限度で反撃する権利。自衛権の一つで,個別的自衛権に対していう。国連憲章51条において,安全保障理事会が有効な措置をとるまでの間,各国に個別的自衛権と集団的自衛権の行使が認められている。本来国連憲章は,国際的安全保障の方式として集団安全保障を目指した。すなわち軍備拡張や同盟の構築によって各国が個別に安全を保障しようとするのではなく,戦争その他の武力の行使を禁止する一方,これに違反して侵略を開始する国に対しては国際連合加盟国が一致協力して集団的に強制措置をとるというものであった。しかし,アメリカ合衆国とソビエト連邦の対立下で国連憲章の予定した集団安全保障が機能しなかったため,東西両陣営はそれぞれ集団的自衛権を根拠にした多国間または二国間の相互防衛条約を締結し,実質的な同盟復活の様相を呈した。日本政府は第2次世界大戦後長らく,集団的自衛権に関して「国連憲章の加盟国として,また対日講和条約5条C項の規定どおり日本は集団的自衛権をもつが,憲法第9条のゆえにそれを行使することはできない」と説明していた。しかし 2014年7月,安倍晋三内閣は,一定の条件のもとで集団的自衛権の行使は認められるという憲法解釈の変更を閣議決定した。

出典: ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「集団的自衛権」

Copyright (c) 2018 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.


── もし価値に違いがないならば、なぜ無料で調べられるのに課金される百科事典を使う必要があるのか、という話になってしまいますね。


信頼できる百科事典をつくるには、それなりのコストがかかっているということですよ。ネットでは目立ったもの勝ちなところがありますが、百科事典をつくるには、その分野にある程度精通した人が、その分野を代表する専門家を選ぶプロセスがあります。最初にあたるのはオーソドックスな情報でないと、その後に受け取る情報の評価基準もおかしくなってしまいますから、信頼できる専門家の話から入るというのは、とても大切なことだと思います。


あと表面的でなくなにかを本気で調べようと思ったら、ネット情報では当然足りなくなってくるはずです。先ほども話題になった「教養」というものは、これを知りたいという衝動に突き動かされて調べるうちに身につくものです。だからいつも教養課程の学生にも「いま」しかないんだよと訴えています。図書館で専門書をじっくり読める時間なんて、人生においてほんのわずかなんです。その貴重な時間に、大人になってからでも読めるような自己啓発本を読んでもなぁ……という気がします。買えば1万円以上もする専門書でも、大学の図書館でなら好きなだけ読めます。こんなことは大人になったらできません。いましかできないよと、訴えているのです。


── 大学生の多くが自己啓発本とは……意外でした。


インターネット上の通販サイトのランキングを見ても、書店で陳列されている書籍を見ても、その傾向は明らかですね。いま書店は、ダイエット本と反中嫌韓本と自己啓発本で占められていますよ。でも、教養というのは、まずは自分の好きなことを掘り下げてゆくことだと思うんです。そして、安易にベストセラーを読まないというひねくれた態度も、ときとして必要だと思いますよ(笑)。売れてるなら読まない、というのも一つの判断ですね。


── 教育現場で仕事をなさっていて、これは日本の教育現場の問題点だなと感じる点はありますか。


教育方法がていねいなのはいいと思うんですが、それぞれの個性に合わせた選択や自由がないところは、悪いところというか弱点だと思いますね。私は「内職の権利」というのを考えていたんです。いまの学校教育って、できない人にもしっかりていねいに説明するために、すでに理解している人にも何度も説いて聞かせているんです。繰り返し説明が必要な人に繰り返し説明することを、まったく否定しないんですが、もうわかってる人には堂々と内職(自習)を認めてほしいなと。


私が通っていた高校は公立の共学校でしたが、3年生になると午後の授業がなくなり、補講や選択制の授業をとらなければ帰っていいという自由な学校でした。自由を認めた結果、勉強したい生徒は自主的にすごく勉強するし、勉強に興味のない生徒は楽しく過ごせるという環境でした。もちろん卒業後の結果には大きな違いが出ますけど、それはみずから望んでした結果。これはけっこう大切なことだと当時思いました。高校は義務教育ではないのだから、自分で選択するという経験をどんどんしていかないといけないと思うんですよ。そのころに、大事なのは自習と内職だと気づきました。


これは教養についてもあてはまることで、教養の詰め込みってほんとうに意味がなくて、あまり忙しくない環境で、自分の衝動にしたがって自由に自習することによって、初めて教養は身につくのだと思います。大学時代は伝説の生き物とか神話が好きで、「バジリスク」という伝説の生き物が気になって古代ローマの博物学者プリニウス*2の『博物誌』などもさんざん調べてみました。そんなこと暇じゃなきゃできません。


── 学校では教えてくれないことですし、たとえばネッシーについて学校で笑い話程度に先生がしてくれても、どの程度ほんとうなのか嘘なのか、自分で能動的に調べないとわからないわけですからね。


ネッシーでも調べると、けっこう教養というか、そういうものが身についていく気がします。過去の証言の疑わしいところを探すとか、この時代の気候や水質で大型爬虫類が生きてゆけるかとか。いろんなことが調べられます、その気になれば。そうなってくると、歴史考証とはなにかとか、生物学や湖の環境とかの意味合いなどがわかってくる。そういうかたちでないと、教養って自分の身につかないという気がしますね。

*2プリニウス (大)

プリニウス .だい
Plinius Secundus,Gaius

[生]23/24. コムム
[没]79.8.24. スタビアエ

ローマの百科全書学者。軍人として身を立て,ゲルマニアで騎兵隊を指揮。ネロの治世には文筆に従事。70年以後,ガリア,アフリカ,スペインの行政長官を歴任。ナポリ湾のミセヌムに海軍の提督として在任中,ベズビオ火山の大爆発の犠牲になった。彼の百科全書『博物誌』 Historia naturalis (37巻) は,宇宙論,地理学,民族学,人類学,生理学,動植物学,薬学,鉱物学,冶金学,造形美術などにわたる約3万5000項目からなり,当時の芸術,科学,文明に関する情報の宝庫である。

出典: ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「プリニウス (大)」

Copyright (c) 2018 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.


── 結局自分が知りたいと思った衝動に戻りますね。衝動や好奇心が教養の原点、というか。


戻ります。そうなんですよ。外国語もね、やっぱりそうならないとできないだろうと思いますね。やっぱりおもしろければ、がんばって読むんです。先ほどの話ですけど。私が一つ提案しているのが、外国語が原作のおもしろい本は、結末を訳さないという慣習をつくったらどうか、ということなんです(笑)。


みんな必死で原作を読むでしょう、続きが英語であろうと。そしたら、日本人の英語力は大いに上がるんじゃないかと思うんですけどね。『ハリー・ポッター』の最後の2章だけは英語で読みましょう(笑)。教養というものには、暇と興味関心が不可欠だという…。暇というゆとりがないと、興味関心が起こったときにそこにエネルギーを突っ込めないですからね。はたしていま、そういう状況に置かれているのか、という気もしますけれど。


── 木村教授が、いわゆる百科事典というものに欠けている点にいまお気づきでしたら、ご指摘いただけますか。必要とされるのは、ネット上にあふれる無料情報サイトのようなものではないという予感はあるのですが。


百科事典や年鑑で大事なことの一つは、昔の情報が残るということだと思うんですよ。ネットの情報などは最新の情報でどんどん上書きされていくわけですけれども、百科事典や年鑑として、昔の情報がそのまま残ることは、すごく大事だと思うんですね。1960年の日本では、どんなことが話題になっていて、人々はどんな情報を欲していたのか、ということは、インターネットではなかなか調べられないです。上書きされて消えていってしまうから。


たとえば、2009年にインターネット上の掲示板に書き込まれたことを、いま調べるのはけっこうたいへんだと思いますけれど、ブリタニカであれば、2009年の出来事は2010年版の年鑑を開けばわかりますから。この時はこういうことが言われていた、ということがわかりますよね。


たとえば、天皇の生前退位というのが話題になっていますが、実は70年前と100年前にもけっこう大きな議論をやっているんです。その時点の情報のアーカイブというのがすごく大事になります。だから、その時代とかその時というものを「保存できる」というのが、百科事典や年鑑というものの一つの価値なのかなと思いますね。


── 書籍の時代ですと1970年版の百科事典があり、その後10年くらい使われて、改訂された1980年版の百科事典が発行されますが、70年版も併存します。そうやって残った過去の版にも存在価値があるということですね。


「実は」価値がある、ということですね。だから、電子版にしていくときに、どんどん上書きしていくとほかのネット上の情報と変わらなくなってしまいます。この項目について、1960年のときはこういう解説をしていた、あの時はこういう解説をしていた、というような、地層のように重なって残っていく情報という役割があるのかな、という気がしますね。


私はアメリカ法の「平等」ということばを研究しましたが、まさに200年前の法律用語辞典みたいなものも、版が変わったごとにどのように説明が上書きされていっているのか、と調べるのもたいへん興味深い作業でした。古い情報だからといって自分たちがもっている宝は捨てないでほしいと思いますね。電子媒体なら簡単にできるわけですから。項目に1960年版、1970年版、1980年版とリンクを張ればよいわけですから。


── 電子情報媒体に負けないようにアップデートしていかなければと、私たちも考えがちです。目先にとらわれてはいけない、ということですね。情報の根拠さえ明確であれば。


しかも信頼できる情報源のものですからね。昔の物価を調べるのは、けっこう難しいですよ。たとえば、百科事典や年鑑に物価の一覧のようなものを経年で載せてくれると、たぶん10年後や20年後にはかなりおもしろいデータになると思います。そういうものは、たくさんあると思いますよ。


── 本日はお忙しいなか、誠にありがとうございました。


こちらこそ、遠いところをご苦労さまでした。


(於:首都大学東京・木村草太研究室)


プロフィール
木村 草太(きむら そうた、1980年 - )は、日本の法学者。専門は憲法学、公法学。首都大学東京大学院社会科学研究科法学政治学専攻・都市教養学部法学系教授。東京大学法学部卒。著書に、『キヨミズ准教授の法学入門』(星海社新書)『憲法の創造力』(NHK出版新書)『憲法という希望』(講談社現代新書)など多数。『ブリタニカ国際年鑑』への寄稿に2015年版「憲法と自衛権──7月1日の憲法解釈から」、2016年版「平和安全法制の是正に必要なもの」がある。

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