【探究・知識を深める】世界詩歌記念日に寄せて 〜与謝野晶子〜

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「3月21日」は World Poetry Day国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)が人の創造性を喚起する詩の役割を評価し1999年に記念日設定を採択しました。「世界詩デー」「世界詩歌の日」「世界詩歌記念日」などと訳されているようです。この日にちなんで、今回は明治から昭和期に活躍した近代歌壇を代表する歌人、与謝野晶子(Akiko Yosano)についてご紹介します。

いわゆる「」と呼ばれるものの多くは、言語的リズムによってある種の聴覚的・視覚的イメージが呼び起こされる韻文です。その意味において、日本古来の和歌も詩であります。日露戦争のため出征する弟を思って詠んだ詩『君死にたまふことなかれ』は非常に有名ですが、歌集『みだれ髪』に収録された情熱的な歌(短歌)の数々で一世を風靡した歌人、与謝野晶子についてふれる以上、ここでは poetry を「詩歌」と置き換えたいものです。

愛情豊かな人生と超人的な仕事

さて、5万首ともいわれる膨大な数の歌を詠んだ与謝野晶子の生涯は一言でいえば、愛するもの(人・事物)に対し、惜しみなくかつエネルギッシュに愛情を注ぎ込んだものだったといえましょう。与謝野鉄幹との間の11人の子供を育てながら、夫とともに文芸雑誌『明星』を切り盛りし、廃刊後は収入のなくなった鉄幹に代わって生活を支えるため、あらゆる執筆仕事を引き受け、その活動は詩歌にとどまらず、小説、評論、『源氏物語』『栄花物語』『紫式部日記』などの古典の現代語訳にまで及びました。さらには、スランプに陥った鉄幹を立ち直らせるべく費用2000円(現在でおよそ550万円)を工面してパリに遊学させ、翌年その鉄幹を追いかけてヨーロッパに渡り、滞在中は女子教育の必要性を痛感し、男女平等、反戦といった進歩的な思想をたっぷり吸収しました。そこまでがおおむね20~30歳代の晶子ならば、40歳代以降の晶子は男女共学の自由な教育の場、文化学院の創設者(の一人)兼学監であり、社会問題に強い関心を寄せる一人の教育者だったのかもしれません(もちろんその間の執筆活動は衰えませんでした)。

近代詩歌の大いなる担い手として

『みだれ髪』により弱冠23歳で才能を開花させ成功したのちもなお、鉄幹の女性問題(晶子・鉄幹も不倫の末の結婚ですが)、子だくさん、生活苦などと向き合いながら、明治~大正~昭和を駆け抜け驚異的な仕事をこなした晶子。詩歌には本来、人の霊魂、自然物の霊魂、神霊などに対する畏敬や恋情がこめられており、それらは古代から上代にかけておもに女性(巫女)によって詠われきました。額田王小野小町紫式部赤染衛門和泉式部式子内親王藤原俊成女ら優れた女性宮廷歌人が輩出した背景の一つでもあります。ところが室町時代以降、和歌の重要な担い手は男性に移り変わっていきます。晶子のあふれんばかりのエネルギーは、和歌を女性のもとにぐいぐいとたぐり寄せ、本来のあり方に立ち戻らせ、そして明治以降の文学・文芸の担い手として女性の地位を高めることで、みごとに昇華されたのかもしれません。


ブリタニカ・オンライン・ジャパンの大項目事典には和歌全般に関して体系的に述べられた「和歌」、日本においてその重要な位置づけが解説されている「日本文学」が掲載されています。歌集そのものを解説した「万葉集」「新古今和歌集」もあります。「」「口承文芸」においては、韻文の成り立ちや世界的な広がりを知ることができます。歌人別には「与謝野晶子」のほか「小野小町」「紫式部」「和泉式部」などをご覧いただけます。


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